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元気です! ながさわです!!

アッセンブリー京都教会 
牧師 長澤 聖志のblog
2018年06月22日
07:29
御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、 https://t.co/WVXdF6p9rC #jugem_blog
| sasshi-n | メモ | 02:20 | - | - | - | - |
御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、

わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。(申命記30:11-14)

 

主は主が命じられた戒めを行うことができると言われる。

なぜなら「御言葉はあなたのごく近くにあり、

あなたの口と心にあるのだから、」と。

 

僕の口と心に与えられているみことばが豊かに働いてくださり、

あなたの御心にかなった歩みをすることができますように。

 

(参考:日々のみことば 2018年6月22日 申命記30:1-20

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 07:29 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
2018年06月20日
21:07
私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。 https://t.co/gVf6TTkn9i #jugem_blog
| sasshi-n | メモ | 02:20 | - | - | - | - |
私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。 (第2コリント 12:10 新共同訳)

 

ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(第2コリント 12:10 新改訳聖書)

 

侮辱に甘んじる

侮辱に満足する

 

侮辱に甘んじ

侮辱に満足した時の

パウロの気持ちとはいかなるものだったのだろうか。

 

侮辱には

弱さや窮乏や迫害や行き詰まりとは違う

甘んじることができない。

満足することができない、

特別な感情があるように思う。

 

それは自尊心が傷つけられることではないか。

自尊心が傷つくと自らを支えている芯が揺らぐ。

 

パウロは語る。

侮辱がもたらす弱さゆえに

キリストの力におおわれると。

 

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第2コリント12:9新改訳聖書)

 

 

そのような状況になったとしても

イエス様を見上げ願わくは、

パウロのごとく甘んじ、

満足することができますように。

 

そして、

キリストの力が弱さのうちに

完全にあらわされますように。

| sasshi-n | デボーション | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2018年06月19日
20:18
朝には、「夕になればよいのに」と願い、 夕には、「朝になればよいのに」と願う。 https://t.co/75SFIddrbm #jugem_blog
| sasshi-n | メモ | 02:20 | - | - | - | - |
朝には、「夕になればよいのに」と願い、 夕には、「朝になればよいのに」と願う。

あなたは心に恐怖を抱き、その有様を目の当たりにして、朝には、「夕になればよいのに」と願い、夕には、「朝になればよいのに」と願う。 (申命記28:67)

 

今を生きることのできない状況があらわされている。

 

主のみことばに従って生きる者への約束と

それから逸れて生きる生きる者が受け取る

災いの警告がなされている箇所である。

 

<朝には、「夕になればよいのに」と願い、

夕には、「朝になればよいのに」と願う>歩みは、

「今」を生きていない生き方だと思う。

 

それは残念な生き方なのだと思う。

そしてしばしばそのような生き方をしている自分に出会う。

「今」をしっかりと生きることは

僕にとって案外難しい。

 

災いの最中であるか否かに関わらず。

「今」を恵みの時として歩むことができたら

なんと幸いであろうか。

 

 

神様、

たとえ、自分の意に沿わない「今」であったとしても。

「今」という時を良いお方である神様の御手に

にぎられた時として味わいながら

歩むことができますように。

 

 

 

(参考:日々のみことば 2018年6月19日 申命記28:58-56

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 20:18 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
2018年06月15日
22:38
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。 https://t.co/HOtks6nbI9 #jugem_blog
| sasshi-n | メモ | 02:20 | - | - | - | - |
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 (ヨブ記 1:21 新共同訳

 

 

 

このように語る心境とはどのようなものなのだろうか。

 

ヨブはどんな心でこのように語ったのだろうか。

 

僕はこのように語れるのだろうか。

| sasshi-n | デボーション | 22:38 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
2018年06月11日
20:40
一年間は自分の家のためにすべてを免除される。 https://t.co/cdsCD4eOLT #jugem_blog
| sasshi-n | メモ | 02:20 | - | - | - | - |
一年間は自分の家のためにすべてを免除される。

 

人が新妻をめとったならば、兵役に服さず、いかなる公務も課せられず、一年間は自分の家のためにすべてを免除される。(申命記24:5-6)

 

新婚の一年間は兵役および公務が

免除されることが記されいてる。

 

結婚が大切にされていること、

自分の家の事柄が重んじられていることがわかる。

 

結婚生活、自分の家の事柄は

時に公のことと比較して

個人的なこととして軽んじられかねない。

しかし神様は決して個人的として

軽んじられてはいないのだと思う。

 

また戦いへの出兵、公務が特別なことに対して

家庭生活は平凡なこととして

時に軽んじられてしまうことがあるように思う。

しかし、神様は平凡と思いがちな

日々の営みを大切にして歩むことを

願っておられるのではないかと思う。

 

 

神様、

特別なことにだけ目を向けるのではなく

平凡なことに目をとめ

平凡なことを誠実に大切にして

歩むことができますように。

 

(参考:日々のみことば 2018年6月11日 申命記23:19-24:9

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 20:40 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
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