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元気です! ながさわです!!

アッセンブリー京都教会 
牧師 長澤 聖志のblog
御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、

わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない。それは天にあるものではないから、「だれかが天に昇り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。海のかなたにあるものでもないから、「だれかが海のかなたに渡り、わたしたちのためにそれを取って来て聞かせてくれれば、それを行うことができるのだが」と言うには及ばない。御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。(申命記30:11-14)

 

主は主が命じられた戒めを行うことができると言われる。

なぜなら「御言葉はあなたのごく近くにあり、

あなたの口と心にあるのだから、」と。

 

僕の口と心に与えられているみことばが豊かに働いてくださり、

あなたの御心にかなった歩みをすることができますように。

 

(参考:日々のみことば 2018年6月22日 申命記30:1-20

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 07:29 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。

それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。 (第2コリント 12:10 新共同訳)

 

ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(第2コリント 12:10 新改訳聖書)

 

侮辱に甘んじる

侮辱に満足する

 

侮辱に甘んじ

侮辱に満足した時の

パウロの気持ちとはいかなるものだったのだろうか。

 

侮辱には

弱さや窮乏や迫害や行き詰まりとは違う

甘んじることができない。

満足することができない、

特別な感情があるように思う。

 

それは自尊心が傷つけられることではないか。

自尊心が傷つくと自らを支えている芯が揺らぐ。

 

パウロは語る。

侮辱がもたらす弱さゆえに

キリストの力におおわれると。

 

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第2コリント12:9新改訳聖書)

 

 

そのような状況になったとしても

イエス様を見上げ願わくは、

パウロのごとく甘んじ、

満足することができますように。

 

そして、

キリストの力が弱さのうちに

完全にあらわされますように。

| sasshi-n | デボーション | 21:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
朝には、「夕になればよいのに」と願い、 夕には、「朝になればよいのに」と願う。

あなたは心に恐怖を抱き、その有様を目の当たりにして、朝には、「夕になればよいのに」と願い、夕には、「朝になればよいのに」と願う。 (申命記28:67)

 

今を生きることのできない状況があらわされている。

 

主のみことばに従って生きる者への約束と

それから逸れて生きる生きる者が受け取る

災いの警告がなされている箇所である。

 

<朝には、「夕になればよいのに」と願い、

夕には、「朝になればよいのに」と願う>歩みは、

「今」を生きていない生き方だと思う。

 

それは残念な生き方なのだと思う。

そしてしばしばそのような生き方をしている自分に出会う。

「今」をしっかりと生きることは

僕にとって案外難しい。

 

災いの最中であるか否かに関わらず。

「今」を恵みの時として歩むことができたら

なんと幸いであろうか。

 

 

神様、

たとえ、自分の意に沿わない「今」であったとしても。

「今」という時を良いお方である神様の御手に

にぎられた時として味わいながら

歩むことができますように。

 

 

 

(参考:日々のみことば 2018年6月19日 申命記28:58-56

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 20:18 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 (ヨブ記 1:21 新共同訳

 

 

 

このように語る心境とはどのようなものなのだろうか。

 

ヨブはどんな心でこのように語ったのだろうか。

 

僕はこのように語れるのだろうか。

| sasshi-n | デボーション | 22:38 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
一年間は自分の家のためにすべてを免除される。

 

人が新妻をめとったならば、兵役に服さず、いかなる公務も課せられず、一年間は自分の家のためにすべてを免除される。(申命記24:5-6)

 

新婚の一年間は兵役および公務が

免除されることが記されいてる。

 

結婚が大切にされていること、

自分の家の事柄が重んじられていることがわかる。

 

結婚生活、自分の家の事柄は

時に公のことと比較して

個人的なこととして軽んじられかねない。

しかし神様は決して個人的として

軽んじられてはいないのだと思う。

 

また戦いへの出兵、公務が特別なことに対して

家庭生活は平凡なこととして

時に軽んじられてしまうことがあるように思う。

しかし、神様は平凡と思いがちな

日々の営みを大切にして歩むことを

願っておられるのではないかと思う。

 

 

神様、

特別なことにだけ目を向けるのではなく

平凡なことに目をとめ

平凡なことを誠実に大切にして

歩むことができますように。

 

(参考:日々のみことば 2018年6月11日 申命記23:19-24:9

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 20:40 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
見て見ない振り

同胞の牛または羊が迷っているのを見て、見ない振りをしてはならない。必ず同胞のもとに連れ返さねばならない。もしも同胞が近くの人でなく、だれであるかも分からない場合は、それを家に連れ帰り、同胞が捜しに来るまで手もとに置き、捜しに来たとき、その人に返しなさい。ろばであれ、外套であれ、その他すべて同胞がなくしたものを、あなたが見つけたときは、同じようにしなさい。見ない振りをすることは許されない。同胞のろばまたは牛が道に倒れているのを見て、見ない振りをしてはならない。その人に力を貸して、必ず助け起こさねばならない。(申命記22:1-4)

 

見て見ない振りをしてしまう。

そんな人間にも神様は

憐れみをかけてくださった。

見て見ない振りをする者に

神様は目をとめてくださり

その罪深さからくる苦しみを

見て見ぬ振りをすることなく、

救いの道をご用意くださった。

 

イエス様の十字架は

人間の罪がもたらす悲惨を

見て見ぬ振りをすることなく

関わってくださった神様の恵みなのだと思う。

 

神様、

あなたが私の人生を今日も

生きてくださいますように。

あなたのあわれみと恵みを

味わいつつ歩ませてください。

 

(参考:日々のみことば 2018年6月8日 申命記22:1-12

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 09:38 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
賄賂は賢い者の目をくらませ・・・。

あなたの神、主が部族ごとに与えられるすべての町に、裁判人と役人を置き、正しい裁きをもって民を裁かせなさい。裁きを曲げず、偏り見ず、賄賂を受け取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからである。

 

賄賂は賢い者の目をくらませ・・・。

 

たとえ賢い者であっても

目をくらませられるものがあり、

目がくらませられる可能性がある。

 

 

神様、

目をくらませるものから私をお守りください。

私を覆っている目の覆いをとりのけて、

あなたの真理をまっすぐに見ることのできる健やかな目で

あなたの御前を歩むことができるようにしてください。

 

 

(参考:日々のみことば 2018年6月1日 申命記16:18-17:13

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 07:38 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
常にあなたの神、主を畏れることを学ばねばならない。

あなたは、毎年、畑に種を蒔いて得る収穫物の中から、必ず十分の一を取り分けねばならない。あなたの神、主の御前で、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたは、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の十分の一と、牛、羊の初子を食べ、常にあなたの神、主を畏れることを学ばねばならない。(申命記14:22-23)

 

十分の一のささげ物について記され、

それによって主を畏れることを

学ばねばならないと命じられている。

 

主を畏れることを学ぶことの大切さを思う。

僕は生活の中で主を重んじ、

主への畏怖の思いをどれだけもって歩んでいるだろうか。

 

主が定められる命令に対する応答は、

主への思いから生じ、主への畏怖へと

向かわせてくれるのかもしれない。

 

神様、あなたを知ることを

切に求めさせてください。

そしてあなたのご人格にふれさせ、

あなたを知る者とさせてください。

 

 

 

(参考:日々のみことば 2018年5月29日 申命記14:33-29

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 16:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
このイエス・キリストはすべての人の主です。

ただし、反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの動物は食べてはならない。らくだ、野兎、岩狸。これらは反すうするが、ひづめが分かれていないから汚れたものである。いのしし。これはひづめが分かれているが、反すうしないから汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。死骸に触れてはならない。水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものはすべて食べてよい。しかしひれやうろこのないものは、一切食べてはならない。それは汚れたものである。清い鳥はすべて食べてよい。しかし、次の鳥は食べてはならない。禿鷲、ひげ鷲、黒禿鷲、赤鳶、隼、鳶の類、烏の類、鷲みみずく、小みみずく、虎ふずく、鷹の類、森ふくろう、大このはずく、小きんめふくろう、このはずく、みさご、魚みみずく、こうのとり、青鷺の類、やつがしら鳥、こうもり。羽のある昆虫はすべて汚れたものであり、食べてはならない。 (申命記14:7-19)

 

使徒の働き10章に記されている出来事を

思い起こす。

 

ペテロは夢ごこちになり幻を見る。

 

天が開き

食べてはならないと

命じられている動物が

四隅をつらされた敷布にのって

おりてくる光景を。

 

ほふって食べよとの言葉に

「主よ。それはできません」と答えるペテロ。

 

そんなペテロに神様は語りかけられた。

「神がきよめた物を、清く言ってはならない。」と。

 

このイエス・キリストはすべての人の主です、

というみことばを思い出す。

 

 

すべての主であるイエス様を仰ぎ見て

今日も歩むことができますように。

 

 

(参考:日々のみことば 2018年5月28日 申命記14:1-21

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 07:48 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
あなたの神、主が良しとし、正しいと見なされることを

わたしが命じるこれらのことをすべて聞いて守りなさい。こうして、あなたの神、主が良しとし、正しいと見なされることを行うなら、あなたも子孫もとこしえに幸いを得る。(申命記12:28)

 

自分が良しとし正しいと思うことと、

神様が良しとし正しいと見なされることは

時に食い違う。

自分の欲や、自分の罪深さが

自分の思う正しさの中には

加わるからなのだと思う。

 

 

自分の思う正しさを一呼吸して

吟味することができますように

 

 

(参考:日々のみことば 2018年5月26日 申命記12:20-32

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 08:27 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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