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元気です! ながさわです!!

アッセンブリー京都教会 
牧師 長澤 聖志のblog
沈黙の音を聴く

礼拝堂に座り沈黙の音を聴ことしました。

そしてかつて書いた文章を読みました。

 

 

沈黙の音を聴く
祈りの時間が好きです。独りで祈る時間です。独り静まり、神様の語りかけを聴く・・・。神様の語りかけを受け取るのはとても嬉しいことです。祈りために礼拝堂に座ります。祈り始めます。でも浮かんでくるのは思い煩いばかり、そんな時があります。頭の中がいっぱいになっている証拠です。しなければならないこと、解決していない問題、自分の計画、メッセージの準備、自分が固執している聖書の言葉・・・。頭の中だけではありません。心の中もいろいろなものでいっぱいです。焦り、憤り、怒り、罪責感、いらだち、憎しみすらも・・。心に感じる感情がむき出しだとやがて祈るのが苦しくなります。そんなとき「沈黙の音」を聴きます。沈黙して聞こえてくる音に耳を傾けるのです。すると今まで聞こえてこなかった音が聞こえてきます。花屋町通りを通る車の音、鳥のさえずり、猫の鳴き声、日光によってぬくもった温度差で生じる建物のきしむ音。信号機の誘導音。ずっと聞こえていたはずなのに聞こえなかった音。聞く耳を持たないと聞こえない音がたくさんあることに気づきます。自分が聞く耳を持っていないかったかがわかります。しばらく沈黙の音を聴いていると霊的な声、神様の語りかけに耳を傾けることができるようになります。「お話しください。しもべは聞いております。」(汽汽爛┘3:10)。少年サムエルが神様の語りかけに耳を傾けたように。そして祈りが変えられていきます。自分の頭の中でこねくり回す祈りから、自分の経験に頼った祈りから、自己中心の祈りから・・・。何か狭い所から広いところに出て大きく息を吸わせていただいたような感じです。祈りは聖霊に導かれて祈る祈りに変えられていきます。導き手のある祈りです。独りの祈りは聖霊の導きのある祈りでもあるのです。思い起こさせていただく御言葉によって心が暖かくなるようです。エマオの途上で復活のキリストに出会ったあの二人の弟子のように・・・「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」(ルカ24:32)。自分の体験したことが信仰の経験へと変えられていきます。御言葉に基づいた祈りの言葉があふれてきます。そして御心がなりますようにとの祈りへと。また祈りの中で聖霊はキリストのからだの真ん中に僕を連れて行ってくださいます。祈りは教会のために祈るように導かれ、兄弟姉妹を覚えて祈る、兄弟姉妹と共に祈る祈りへと広げられていきます。兄弟姉妹、隣人に守りと祝福がありますようにと。独りの祈りは孤独から僕を引き出し共同体の中へ導いてくれます。祈りの恵みを味あわさせていただきました。これからも聖霊によって祈る尽きることのない恵みを体験させていただきたいとと思っています。皆さんの日々の祈りが祝福されますように。

 

 

主の語りかけを聴くことができますように。
 

| sasshi-n | デボーション | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
憂いを抱えて生きる。

主よ。あなたはご存じです。私を思い出し、私を顧み、私を追う者たちに復讐してください。あなたの御怒りをおそくして、私を取り去らないでください。私があなたのためにそしりを受けているのを、知ってください。私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。私は、戯れる者たちの集まりにすわったことも、こおどりして喜んだこともありません。私はあなたの御手によって、ひとりすわっていました。あなたが憤りで私を満たされたからです。なぜ、私の痛みはいつまでも続き、私の打ち傷は直らず、いえようともしないのでしょう。あなたは、私にとって、欺く者、当てにならない小川のようになられるのですか。(エレミヤ書 15:15-18) 

 

 

エレミヤの祈り

憂いを抱えて生きるエレミヤの姿がある。

 

憂いを抱えて生きる。

 

憂いのない生き方を望むけど

憂いを抱えて生きる生き方も

主は受け入れてくださっている。

そして憂いを抱えて生きる者を

主は支えてくださる。

みことばをもって。

 

わたしはあなたを、この民に対し、堅固な青銅の城壁とする。彼らは、あなたと戦っても、勝てない。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い、あなたを助け出すからだ。――主の御告げ。――(エレミヤ書15:20)

 

主よ。憂いを抱えて生きるその時にも

あなたの大きな力が働いていること、

その力によって支えられていることに

気づくことができますように。

あなたのみことばの麗しさに

出会うことができますように。

 

(日々のみことば 2017年10月17日 エレミヤ書15:10-21 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

 

 

| sasshi-n | デボーション | 08:32 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
心優しき方の声

私の民の娘の傷のために、私も傷つき、私は憂え、恐怖が、私を捕えた。(エレミヤ書8:21)

 

エレミヤの心。

 

自分の傷ではないにもかかわらず、

彼は傷つき、憂え、恐怖に捕らえられる。

 

人の傷が自らの傷となり、憂となる。

このような人が心優しき人なのかもしれない。

エレミヤは涙の預言者と呼ばれた。

 

イエス様の姿こそこのような姿ではないか。

僕たちの傷を自らの傷とし、

僕たちの憂いを背負ってくださる。

 

心優しきイエス様の姿がここにある。

心優しきイエス様の招く言葉が届く。

 

 

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイの福音書11:28-30 新改訳聖書)

 

イエス様、あなたの御前に進みゆきます。

どうかあなたの与えてくださる安らぎに

憩わせてくださいますように。

 

 

 

(日々のみことば 2017年9月30日 エレミヤ書8:18-9:6 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 23:03 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
あなたはいつまでたっても、きよめられないのか。

あなたの姦淫、あなたのいななき、あなたの淫行のわざ――この忌むべき行ないを、わたしは、丘の上や野原で見た。ああ。エルサレムよ。あなたはいつまでたっても、きよめられないのか。( エレミヤ書13:27)

 

<ああ。エルサレムよ。>

嘆きのことばが記されている。

忌むべきことを行う民に向かって。

 

 

イエス様の嘆きのことばを思い出す。

 

ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。(マタイの福音書23:37-38)

 

 

ひなを翼の下に集めるめんどりのように

預言者を遣わし働きかけ続けられた神様。

しかし、それを好まず、拒み、退けた民。

 

イエス様の嘆きはそんな民に向けられた。

 

<あなたはいつまでたっても、きよめられないのか。>

 

このことばが心に響く

まことのきよめ、

唯一のきよめは、

イエス様の十字架から訪れる。

 

忌むべきことを行い、

愛をもって語られる神のことばを退ける

そんな僕をもイエス様の十字架の血潮は

きよめてくれた。

 

イエス様の成し遂げてくださった

みわざに信頼し歩んでいきたい。

 

神様、僕をきよめ、素晴らしい約束、

キリストの似姿へと変えてください。

 

 

(日々のみことば 2017年10月13日 エレミヤ書13:20-27 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 08:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
私の心の愛するものを

私は、私の家を捨て、私の相続地を見放し、私の心の愛するものを、敵の手中に渡した。(エレミヤ書12:7)

 

 

敵の手に渡す、

見放す

捨てる。

 

残酷な響きのすることばだ。

 

しかし

愛するものを

自分の相続地を

自分の家を

となると違った複雑な響きとなる

 

心痛む響き。

 

神様がそれをなされる。

 

神様によって

敵の手に渡され、

見放され、

捨てられたなら

神様のお心に思いを巡らすこともなく

「なぜ」「どうして」と

問い、訴えずにはおれない。

 

そんなときにこそ

神様のお心を知ることができますように。

 

 

 

 

 

 

(日々のみことば 2017年10月10日 エレミヤ書12:7-17 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 13:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
耳を傾けて聞け。高ぶるな。主が語られたからだ。

耳を傾けて聞け。高ぶるな。主が語られたからだ。あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。まだ主がやみを送らないうちに、まだあなたがたの足が、暗い山でつまずかないうちに。そのとき、あなたがたが光を待ち望んでも、主はそれを死の陰に変え、暗やみとされる。もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。主の群れが、とりこになるからだ。(エレミヤ書13:15-17)

 

 

 

高ぶり

 

高ぶりは耳を傾け聞くことの妨げとなる

なんと僕は高ぶりやすい者なのだろうか

 

この高ぶりを主は時に砕かれ、

僕をへりくだらせてくださる。

 

それは僕たちの目には好ましく見えない。

しかし、へりくだりの中で聞こえてくる

神様のことばは僕たちに久しく失っていた

喜び、平安、希望・・をもたらしてくれる

あの良き羊飼いの声が聞こえてくるからだ。

 

良き羊飼いであるイエス様の声が

この地における困難な中にあっても

貧しき僕の心を豊かにしてくださいますように。

 

 

 

 

 

(日々のみことば 2017年10月12日 エレミヤ書13:12-19 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 08:36 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
主のことばのとおり

 主は私にこう仰せられた。「行って、亜麻布の帯を買い、それを腰に締めよ。水に浸してはならない。」私は主のことばのとおり、帯を買って、腰に締めた。すると、私に次のような主のことばがあった。「あなたが買って腰に着けているその帯を取り、すぐ、ユーフラテス川へ行き、それをそこの岩の割れ目に隠せ。」そこで、主が私に命じられたように、私は行って、それをユーフラテス川のほとりに隠した。多くの日を経て、主は私に仰せられた。「すぐ、ユーフラテス川へ行き、わたしが隠せとあなたに命じたあの帯を取り出せ。」私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。(エレミヤ書13:1-7)

 

エレミヤの行動が記されている。

彼の神のことばに対する忠実さは

次の二つの言葉に表されている。

「主のことばのとおり」

「主が私に命じられたように」

 

聞き従がったエレミヤは

帯が腐るという出来事を体験し、

神様の解き明かしを聞き取る。

 

 

すると、私に次のような主のことばがあった。(エレミヤ書13:8)

 

神の語りかけを聞く。

そして聞き従う者は

さらなる神の語りかけを聞く。

 

神のことばに聞き従うことは

神様との交わりの深みへと導く。

 

そしてこの言葉が頭に浮かぶ。

 

聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。(汽汽爛┘15:22D)

 

 

神様、あなたのことばに

耳を傾けることができますように。

そして聞き従うことができますように。

 

 

(日々のみことば 2017年10月11日 エレミヤ書13:1-11 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
怒ったり言い争ったりするのではなく

ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。(汽謄皀2:8)

 

祈りについて記されている

 

すべての人のために

祈ること

怒ったり言い争ったりするのではなく

祈ること

 

祈るものでありたい。

 

神様、僕を祈るものとしてください。

 

(日々のみことば 2017年9月3日 第1テモテ2:1-8 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 21:01 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
ほふり場に引かれて行くおとなしい子羊のようでした。

私は、ほふり場に引かれて行くおとなしい子羊のようでした。彼らが私に敵対して、「木を実とともに滅ぼそう。彼を生ける者の地から断って、その名が二度と思い出されないようにしよう。」と計画していたことを、私は知りませんでした。しかし、正しいさばきをし、思いと心をためされる万軍の主よ。あなたが彼らに復讐するのを私は見ることでしょう。私が、あなたに私の訴えを打ち明けたからです。(エレミヤ書 11:19-20)

 

 

<私は、ほふり場に引かれて行くおとなしい子羊のようでした。>

イエスさまの十字架を思い起こす。

 

エレミヤもこのような体験をする。

エレミヤは真実な預言を語る預言者であった。

真実な神のしもべであるゆえの苦難なのかもしれない。

 

義人が苦しむという世界が聖書にはある。

義人であるがゆえの苦難というものがあるのだ。

 

まさにイエスさまのように。

 

苦難は僕たちに何を教えてくれるのだろうか。

苦難の中で僕たちは何に出会うのだろうか。

 

苦難の中で神様、

あなたに目を上げることができますように。

 

(日々のみことば 2017年10月9日 エレミヤ書11:19-12:6 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 20:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
誇る者は、ただ、これを誇れ。

主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。――主の御告げ。――(エレミヤ書9:23-24) 

 

何を誇っているのか

 

私たちは自分の優れたものを誇る

 

自分の知恵、自分の強さ、自分の富。

それらを自分が持っていたら

それを頼みとし、それを頼りにする。

 

でも立ち返るべきところは主である

主を知っていること

これこそ恵みであり、誇りであることを。

 

 

 

<悟りを得て、わたしを知っていることを誇れ。>

 

この語りかけは

何を誇っているかを

自らに問わせ、自らを省みさせる語りかけだ。

 

神様、今心探り、自分が何を誇り

何を頼りにしているかを省みさせてください。

そして悟りを得させてくださり、

あなたをより豊かに知るものとならせてください。

 

 

(日々のみことば 2017年10月4日 エレミヤ書9:17-26 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 08:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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