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元気です! ながさわです!!

アッセンブリー京都教会 
牧師 長澤 聖志のblog
これが二年の間続いたので

それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。(使徒の働き 19:8-10)

 

 

 

アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた。とある。

主のことばを宣べ伝える者にとって

その地域に住む者みなに伝えることができたなら

これは大きな役割を果たしたことになる。

 

「これが二年の間続いたので」

短い一文だけど

この期間に色々なことがあったことと思う。

続けることは簡単ではない。

地道に誠実に続けることの大切さを思う。

 

(日々のみことば 2018年2月16日 使徒の働き19:8-20

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 20:39 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
聖霊が彼らに臨まれ

これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。(使徒の働き19:5-6)

 

 

「信じたとき、聖霊を受けましたか」

パウロの問いである。

 

聖霊が臨まれ

聖霊に満たされることの恵みを思う。

 

神様、聖霊なる神様のお働きを

見ることができますように。

 

 

(日々のみことば 2018年2月16日 使徒の働き18:24-19:7 

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 21:24 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」

人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。(使徒の働き18:20-21)

 

パウロは船出した。

人々からのもっといてほしいとの頼みがあったにもかかわらず。

ある時はとどまり、ある時は通り過ぎ、ある時はす速やかにそこを発つ。

 

「神のみこころなら、・・・」

パウロが語ったこの言葉の中に

彼の行動の原則があるのかもしれない。

 

「神様の御心」にしたがってあゆむ。

これが心に留めていたことなのだと思う。

 

 

神様、あなたの御心を知り。

御心に従って歩むことができますように。

御心に従って歩めるように助けてください。

 

 

 

(日々のみことば 2018年2月16日 使徒の働き18:12-23

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 13:28 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
彼らの間で神のことばを教え続けた。

ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。

(使徒の働き18:9-11)

 

「そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。」

 

主の語りかけはパウロの日々の歩みを導く。

パウロは主の語りかけによて導かれる。

 

主の語りかけには命令と約束があった。

語り続けよ、黙ってはならないという命令と、

わたしがあなたとともにいる、

あなたに危害を加える者はいない、

わたしの民がたくさんいるという約束。

 

主の約束は主の命令を行うことを後押ししてくれる。

そして信仰の一歩を踏み出すと信仰を与えてくれる。

 

主の語りかけを受け取り、それに応えたパウロはどんな思いで

「彼らの間で神のことばを教え続けた」のだろうか。

またその間、彼はどんな神様のみわざを観たのだろうか。

どんな神様に出会ったのだろうか。

どんな神様のご人格にふれたのだろうか。

 

ともにおられる神様との深い交わりへとパウロを招かれた主が

私たちの日々の歩みの中にもともにいてくださり、

ご自身を豊かにあらわしてくださいますように。

 

(日々のみことば 2018年2月15日 使徒の働き18:1-11

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 11:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ひとりのために

死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、ほかの者たちは、「このことについては、またいつか聞くことにしよう。」と言った。こうして、パウロは彼らの中から出て行った。しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。それは、アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。(使徒の働き17:32-34)

 

 

パウロがアテネで宣べ伝えた出来事が記されている。

そしてその宣教の結末は芳しいものではなかった。

あざ笑うもの、興味を示さないものたちがいたのだ。

 

しかし、そのような芳しくない結果であったとしても

「しかし」なのである。

そのような中にあって救われる人もいたののである。

二人の人の名が記されている。

 

アレオパゴスの裁判官デオヌシオ、ダマリスという女、その他の人々であった。

 

ひとりの人が救われる

ここに大きな喜びがる。

イエス様はたとえ話で一人の人の救いの喜びを表現された。

 

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。(ルカの福音書15:4-7)

 

ひとりのために宣べ伝える。

ひとつの魂をさがし求める。

ひとりの人の救いを喜ぶ。

 

僕の救いも大きな喜びを

天に、そしてイエス様に

もたらしたことを信じる。

 

もったいなく、そして

ありがたいことだと思います。

 

神様、ありがとうございます。

 

(日々のみことば 2018年2月14日 使徒の働き17:16-34

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 21:52 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」

 

パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。(使徒の働き17:2-3)

 

 

パウロが伝えたことは、

キリストの十字架と復活、

そしてイエス様こそキリストであるということであった。

 

イエス様の十字架と復活。

命をかけて彼らは語り続けた。

彼らを動かしていたのは

イエス様の十字架と復活の事実であったのだと思う。

 

彼らのうちで生きて働かれるイエス様がおられる。

彼らのうちで十字架と復活の命は息づいているのである。

 

イエス様が僕を生きてくださいますように。

イエス様が息づいてくださいますように。

 

 

(日々のみことば 2018年2月13日 使徒の働き17:1-15

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると

真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。(使徒の働き16:25)

 

牢の中から聴こえてくる賛美。

占いの霊を追い出したのにもかかわらず、

もうける望みがなくなった主人によって

訴えられ、むち打たれたパウロとシラス。

彼らによる賛美。

 

足に足かせをつけられたものたちの真夜中の賛美。

 

彼らの賛美の声はどんなふうに響いていたのだろうか。

足かせと牢と看守、それらは肉体的な縛りを与えたが

彼らはなおも自由を持ち続けていた。

神様への信仰をさえぎることはできなかった。

牢から響いた賛美が他の囚人の耳に響いたように。

 

 

神様、あなたに祈り、

賛美することができますように。

 

 

(日々のみことば 2018年2月12日 使徒の働き16:19-40

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 23:02 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。

それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。それでムシヤを通って、トロアスに下った。ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使徒の働き16:6-10)

 

聖霊によって禁じられ・・・・・。

御霊がお許しにならなかった・・。

 

パウロとシラスが行くべき道を確信したのは、

聖霊による導きであった。

しかも、禁じられ、許されなかった

というかたちでの導きであった。

 

アジヤで語ろうとしたり、

ビテニヤのほうに行こうと試みた。

しかしそれが止められた。

 

 

そして幻を見るのである。

 

神様、

僕の心の耳を開き、

御霊なる神様の声を

聴くものとしてください。

 

(日々のみことば 2018年2月11日 使徒の働き16:6-18

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、

しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。(使徒の働き15:38-41)

 

パウロとバルナバ。

深い絆で結ばれ、

共に宣教のわざに励んだ二人。

パウロをキリスト者の群れに招いたバルナバは

パウロにとっては恩人でもあったことと思う。

 

 

この二人が意見の違いによって

激しく反目したというのだ。

 

悲しい別れであり

残念な別れである。

どうにかならないものかとも思う。

 

慰めの子を意味する名であるバルナバと

聖霊に満たされた選びの器であるパウロ。

この二人に起こった反目。

 

どんなに良好な人間関係であっても

このような反目が決して起きないとは

言えないのかもしれない。

 

 

しかし、二人の反目は、

バルナバはマルコ、パウロはシラスという、

新たな同行者を得て、出発するという新たな展開を生み出した。

二手に分かれた旅は宣教の新たな前進をみる。

 

神様の不思議なご計画に思いを巡らす。

 

神様、あなたの御手に委ねます。

あなたのわざを僕の人生の中で

あらわしてください。

 

 

(日々のみことば 2018年2月10日 使徒の働き15:36-16:5

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 22:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
いのちを投げ出した人たち

このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。(使徒の働き15:26)

 

バルナバとパウロは「いのちを投げ出した人たち」と称された。

しかも「私たちの主イエス・キリストの御名のために」である。

使徒の働き13章から記されているパウロとバルナバの歩みはまさに

いのちを投げ出して宣教にのぞんでいる姿である。

 

自分たちのために十字架でいのちを投げ出してくださったイエス様。

そのイエス様の御名のためにバルナバとパウロはいのちを投げ出す。

 

 

パウロは語る。

 

また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。(第2コリント人への手紙5:15)

 

 

「私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たち」、

「自分のために死んでよみがえった方のために生きた人たち」のゆえに僕は今、

イエス様に出会い、イエス様が生きてくださる人生を歩んでいる。

 

 

(日々のみことば 2018年2月9日 使徒の働き15:22-33

                                          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 23:17 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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