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アッセンブリー京都教会 
牧師 長澤 聖志のblog
人は聞きたいことだけを聞く

さて、ミカヤを呼びに行った使いの者はミカヤに告げて言った。「いいですか。お願いです。預言者たちは口をそろえて、王に対し良いことを述べています。お願いですから、あなたもみなと全く同じように語り、良いことを述べてください。」(第1列王記22:13)

 

 

イスラエルの王、アハブ王に使わされ、

預言者ミカヤを呼びに行った使いの者は

王の気に入ることを述べるように預言者ミカヤに願った。

 

人は聞きたいことだけ聞く。

神のことばさえ気に入ることだけを聞きたいのが

罪深い人間の姿なのかもしれない。

神様にひざまづくのではなく

神様をも利用しようとするのである。

自分が神となっている姿がここにある。

 

神様、高ぶる私をへりくだらせ

神様の前にひざまづく者とさせてください。

 

 

 

(日々のみことば 2017年6月27日 砧鷁Φ22:1-14 

       引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 22:21 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
「私のいのちを取ってください」からの出発

19:4 自分は荒野へ一日の道のりをはいって行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。9 彼はそこにあるほら穴にはいり、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と仰せられた。(第1列王記19:4−9)

 

 

「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。」

エリヤの主への切実で深刻な訴えは違ったかたちで取り扱われた。

みつかいが二度も彼にさわって「起きて、食べなさい。」と言い

彼は備えらえた食べ物を食べ、備えらた水を飲んだ。

 

彼はこの食べ物に力を得て歩き出すのである、神の山へと。

そして主のみ声を聞くのである。

「エリヤよ。ここで何をしているのか。」という主の声を。

 

「もう十分です。私のいのちを取ってください」からの出発である。

 

「もう十分です。私のいのちを取ってください」

僕たちもここから、ここに立ったとしても

出発できるのかもしれない、

もうダメだというそのところから。

 

(日々のみことば 2017年6月20日 砧鷁Φ19:1-21 

         引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 23:08 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
幾羽かの烏が・・・

ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」(第1列王記17:1)

 

神様のことばは実現することば。

露も雨も降らないとのことばが語られたなら

「その地方に雨が降らなかった」。

 

わたしは烏に、そこであなたを養うように命じたと語られたなら

「幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。」

 

そして養ってくださるお方である。

 

(日々のみことば 2017年5月15日 砧鷁Φ17:1-7 

                   引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 08:45 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
ダビデに免じて・・・

彼は父がかつて犯したすべての罪を行ない、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。(第1列王記15:3-5)

 

 

ダビデに免じて・・・

 

父ダビデの心のようには、彼の神、主と

全く一つにはなっていなかったアビヤムの心。

彼は父がかつておかした全ての罪を行なった。

しかし「ダビデに免じて」とある。

ダビデの主の前の歩みが世代をこえ

子孫のアビヤムの人生におよんでいる。

 

イエス様のゆえに罪ゆるされ、

義なるものとされていることの恵みを思い出す。

 

「ダビデに免じて」はアビヤムの人生に深く関わっていたように

「イエス様のゆえに」は僕の今に、深く関わっている。

 

神様、道を踏みはずしたとしても

砕かれた魂としてあなたの御前に

すすみゆくことができますように。

そうです、ダビデのように。

 

そしてイエス様のゆえに

僕の今があることを

いつも心にとめさせてくださいますように。

 

(日々のみことば 2017年6月10日 砧鷁Φ15:1-8 

        引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 07:11 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
恐れをもたらしたのは民の心の行方

ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。(第1列王記12:26−30)

 

支配者となったヤロブアム。

しかし彼に恐れをもたらしたのは民の心の行方であった

 

民が、エルサレムに上って行くことになっていれば、

この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、

私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。という恐れであった。

 

そして彼がしたことは、

なんと金の子牛を二つ作ったというのである。

 

彼は神様の約束によって王になった人物ではなかったか。

 

王は民の願いを聞き入れなかった。それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである。(第1列王記12:15)

 

今や、彼は自らの考えとアイディアで民を引きとめようとしている、

しかも偶像を作ることによって。

 

 

手にした高い地位や立場を守る、

人はそのためになんでもする存在なのかもしれない。

 

主よ、どうぞ僕の心の目を開いてください。

そして、あなたによって支えられる人生となりますように。

 

(日々のみことば 2017年6月4日 砧鷁Φ12:25-33 引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 21:48 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
立って仕えることができなかった。

祭司たちが聖所から出て来たとき、雲が主の宮に満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。(第1列王記8:10-11)

 

主の宮に満ちた主の栄光。

それはそこに立って仕えることができないほどであった。

明日の礼拝会の中にも主の臨在がありますように。

主の臨在の中で主にお仕えできますように。

 

(日々のみことば 2017年5月20日 砧鷁Φ8:1-11

      引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 21:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
かえって仕えるためであり・・・

「あなたの父上は、私たちのくびきをかたくしました。今、あなたは、父上が私たちに負わせた過酷な労働と重いくびきとを軽くしてください。そうすれば、私たちはあなたに仕えましょう。」(第1列王記12:4)

 

ヤロブアムはイスラエルの全集団とともにやって来て、

レハブアムに要望を伝えた。

 

ひとつの王に対する要望に対して

ふたつの王に対する助言がなされた。

 

過酷な労働とくびきを軽くするという助言と

くびきをいっそう重くするという助言である

 

民をどのような存在として考えているのか、

民をどのように治めていくのかの考えの違いが

ふたつの助言の違いを生じさせたのではないか。

 

強制的な力によって仕えさすのか

自発的な力によって仕えることを期待するのか。

 

この助言の違いが後に王国の分裂のきっかけとなった。

 

嘆願するリーダーシップという言葉を読んだことがある。

仕える王の姿に目を留めたい。

 

イエス様の言葉が響く。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコの福音書10:45)

 

 

「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」(マルコの福音書10:42-44)

 

主よ、このみことばが、ぼくのうちに成就しますように。

 

(日々のみことば 2017年6月2日 砧鷁Φ12:1-12 

          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 16:51 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。

ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた。彼らはおのおの贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、騾馬などを、毎年きまって携えて来た。(第1列王記10:23-25)

 

地上のどの王よりもまさっていたソロモン王

そして、ソロモンにまさったお方のイエス様

 

南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。(マタイの福音書12:42)

 

全世界の者たちは贈り物を携えてソロモンのもとに訪れたとある。

僕はどんな思いで今イエス様のもとに近づこうとしているのか。

 

主よ、恐れではなく期待をもって

あなたに近づくことができますように。

 

(日々のみことば 2017年5月29日 砧鷁Φ10:14-29 

                        引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 22:43 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
王に反逆したヤロブアム

第1列王記 11:26 ツェレダの出のエフライム人ネバテの子ヤロブアムはソロモンの家来であった。彼の母の名はツェルアといい、やもめであった。ところが彼も王に反逆した。 11:27 彼が王に反逆するようになった事情はこうである。ソロモンはミロを建て、彼の父ダビデの町の破れ口をふさいでいた。11:28 ヤロブアムは手腕家であった。ソロモンはこの若者の働きぶりを見て、ヨセフの家のすべての役務を管理させた。(第1列王記 11:26-28)

 

王に反逆したヤロブアム。

ソロモンの家来であったヤロブアムが王に反逆した。

家来という身内からの裏切り。

彼は手腕家であり、役務を管理させるほどに

ソロモンが信頼をおいていた人物である。

そのような人物の裏切り。

 

ソロモン王の心境とは

いかなるものだったのであろうか

 

敵対する者として主が起こされたエドム人ハダデと

エリヤダの子レゾンとは違った敵対する者である。

外側からではなく内側からの攻撃。

なによりも大きいダメージを蒙ることであろう。

 

裏切り。

イエス様も弟子からの裏切りを体験されたお方である。

イエス様の心境とはどんなであったのであろうか。

 

ソロモンはヤロブアムの命を狙う。

イエス様は裏切られ、その手に委ねられた。

そして十字架の道へと進んで行かれた。

 

イエス様の思いとはどのようなものだったのだろうか。

 

主よ、イエス様のお心を知る者とさせてください。

 

(日々のみことば 2017年6月1日 砧鷁Φ11:26-43 

          引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 10:06 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
主はソロモンに敵対する者を起こされた。

こうして、主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人のハダデを起こされた。(第1列王記11:14)

 

主はソロモンに敵対する者を起こされた。

 

主に従い通さなかったソロモンに対する

神様の怒りの現れである。

 

神様に期待を置いている私たちにとって悲しい現実である。

 

敵から守ってください。

敵を滅ぼしてください。

ときにそのようにさえ

神様に願いたい私たちであるのに

神様が敵を起こされるのである。

 

私たちを信頼してくださっている神様の

悲しみの伴った怒りがここに現されている。

 

(日々のみことば 2017年5月31日 砧鷁Φ11:14-25 

           引用 新日本聖書刊行会 新改訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 21:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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