blog index

元気です! ながさわです!!

アッセンブリー京都教会 
牧師 長澤 聖志のblog
<< 2018年08月23日 | main | 2018年08月24日 >>
ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり・・・

12そのころ、バラダンの子であるバビロンの王メロダクバラダンは、手紙と贈り物を持たせて使節をヒゼキヤにつかわした。これはヒゼキヤが病んでいることを聞いたからである。 13ヒゼキヤは彼らを喜び迎えて、宝物の蔵、金銀、香料、貴重な油および武器倉、ならびにその倉庫にあるすべての物を彼らに見せた。家にある物も、国にある物も、ヒゼキヤが彼らに見せない物は一つもなかった。 (第2列王記20:12-13

 

この行為は神様の目にかなわないことであったようだ。

第2歴代誌にはヒゼキヤに対して次のように記されている。

 

 24そのころ、ヒゼキヤは病んで死ぬばかりであったが、主に祈ったので、主はこれに答えて、しるしを賜わった。 25しかしヒゼキヤはその受けた恵みに報いることをせず、その心が高ぶったので、怒りが彼とユダおよびエルサレムに臨もうとしたが、 26ヒゼキヤはその心の高ぶりを悔いてへりくだり、またエルサレムの住民も同様にしたので、主の怒りは、ヒゼキヤの世には彼らに臨まなかった。(第2歴代誌32:24-26

 

31しかしバビロンの君たちが使者をつかわして、この国にあった、しるしについて尋ねさせた時には、神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた。(第2歴代誌32:31

 

 

高ぶり。

受けた恵みに報いることをせず、その心が高ぶったとある。

良き王であったヒゼキヤも心が高ぶった。

 

神様、

高ぶるものではなく

へりくだる者とさせてください。

恵みを恵みとして受け取る者とさせてください。

 

 

あなたのみ前をへりくだった心を持って

今日を歩むことができますように。

 

(参考:日々のみことば 2018年8月24日 第2列王記20:12-21

                    引用 日本聖書協会 新共同訳聖書)

| sasshi-n | デボーション | 08:07 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
コメント
高ぶった時も祈れません。落ち込んだ時も祈れません

これも神様への不信だと思います。
一番つらいのはクリスチャンにイエスさまのみたけになりましょうと言われる時
つらすぎる!

長澤先生のお祈りで私たちは罪深くイエスさまのようになれません でもイエスさまは罪を犯されなかった そのことに希望があり期待ができますと言われました 涙があふれました。

先生のメッセージをたくさんの方が聞かれ心が癒やされますように 律法的でなく愛と聖霊に満ち溢れた教会にたくさんの人たちが来られますように 神様やイエスさまが大好きになりますから

| シェルティ大好き | 2018/08/24 12:19 PM |
コメントする


この記事のトラックバックURL
http://sasshi-n.ag-kyoto.com/trackback/953182
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>

bolg index このページの先頭へ